美術と日本の近代史 -官展とリアリズム美術の展覧会から-

今回は美術から近代史を考えることができる2つの展覧会についてです。

「東京・ソウル・台北長春-官展にみる-それぞれの近代美術」@府中市美術館と「われわれは〈リアル〉である 1920s -1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」@武蔵野市立吉祥寺美術館の2つの展覧会から近代において美術が果たした役割を考えてみたいと思います。

東京・ソウル・台北長春-官展にみる-それぞれの近代美術

まずは府中市美術館で開催された「東京・ソウル・台北長春-官展にみる-それぞれの近代美術」からです。
この展覧会では表題の通り、日本・朝鮮・台湾・満洲という旧植民地で行われていた”官展”―文展・帝展・新文展―に出品された作品を通して、植民地支配と美術の関係を探ろうという企画です。
福岡アジア美術館兵庫県立美術館、そして府中市美術館の3つの地方美術館が連携した企画ですが、特筆すべきは韓国や台湾の美術館からも作品を借り受けていることです。近代の韓国や台湾で作成された美術をこれだけまとめて鑑賞する機会は今までなかったのでとてもおもしろく回ることが出来ました。

官展は日本においては美術界のごく限られた部分に過ぎないですが、国家と植民地の関係の表徴が美術の側面から考えるには良い題材だと言えるでしょう。官展は日本の統治下においてほぼ共通のフォーマットで開催されていますし、審査という過程を経ることによって絶えず、政治の目にさらされることになります。美術の中に植民地制を内在させる制度を持っている展覧会でした。

今回の展覧会は東京・ソウル・台北長春という官展が開催された4都市ごとに章立てです。

最初の東京は官展審査員や官展出品作品からアジアを感じさせる作品を選んでいます。このセクションで感じるのは日本のアジアに対する2種類の混在した視線です。
1つはかつての文化先進の地としての視線です。コレは江戸時代の文人画の影響が色濃い日本画の作品から特に感じられました。アジアでも日本でも繰り返し引用された山水や近代化されていない都市の風景。それはフランスがイタリアを描いたカプリッチョを彷彿とさせる視線です。かつて我々の文化揺籃の地を現代の目から顧みているように思われます。
そしてもう1つは典型的なオリエンタリズム的な視線です。裸婦像や民族衣装を着た女性の肖像画は、「日本=見る/アジア=見られる」という関係を意識させます。彼女たちを見る我々という特権的な地位を存分に見せています。これは18世紀後半のヨーロッパがオリエントに対して持っていた視線をアジアに引き写してきたものと考えられます。
日本におけるアジアを題材とした絵画は、近代化による国力の逆転に伴うそんな複雑な視線を持っているように感じられます。

そして東京以外の官展に出品された作品のセクションでは、韓国や台湾の美術館から当時のそれぞれの地域で開催された官展に入選した作品が運ばれてきました。西洋絵画の技法を主に日本から学び(多くの東京美術学校卒業生の作品が展示されていました。東京美術学校が留学生を通して植民地にどのような影響を与えたのかを、明らかにする展覧会が開催されるといいですね。)取得した確かな技術を反映した作品ばかりです。
しかし官展に選ばれた作品は日本人の審査を経ているために、主題は非常に限定されていたようです。そのほとんどが「女性像」「風景画」「風俗画」などが主です。例えば和田三造が描いた重厚な歴史画のような民族の力強さを感じさせる作品は存在しません。展覧会のキャプションによれば、「日本人が考えている朝鮮/台湾らしさ」が審査に対する影響を与えているとのことですが、その中には力強さや自立という主題よりも日本人から見た安全な美しさということが主題にあるのでしょう。
その中でも女性像のファッションなどには近代にたいする地域の適応などが見れたりもします。しかし、それは限定的な事象のようでした。

また、それぞれの植民地にたいして洋画を伝えた日本人の存在を少し取り上げていましたが、今後この面に関しても深く知りたいと思います。

われわれは〈リアル〉である 1920s -1950s

1920年代から1950年代までのリアリズム絵画をテーマとしているとのことですが、実際には「プロパガンダを含んだリアリズム絵画と漫画」を特集した展覧会です。
まずはロシア・ソ連の影響を受けたプロレタリアアートから展示が始まります。ロシア構成主義の影響を色濃く感じるポスターや新聞から工場労働者や農民の苦境をリアリスティックに描き出す絵画、労働者大衆に団結の力を伝えるための漫画といったものが展示されています。神奈川県立近代美術館で展覧会を行っていた柳瀬正夢の作品も展示されていました。
1940年代にはリアリズム絵画は戦争画や増産・勤労を訴えるための絵画へ、終戦後には労働運動や反安保を支えるルポルタージュ絵画へと展開していきます。

今回の展覧会ではリアリズム絵画・漫画という手段が、大衆に訴えかける手段として様々な思想から利用されていることが示されています。それが別々のイデオロギーが表現手法のみを剽窃して様々に展開をしていったのか、それとも大衆に寄り添う絵画を目指す人々が戦前・戦中・戦後とイデオロギーを入れ替えていたのか、それはわかりません。
1940年代の戦争画・増産画の隆盛には日本労農党系列などの転向等と同様にプロレタリアート界隈でも国家社会主義への転向が起きていたようにも思われます。これは1920年代にリアリズム絵画を手がけていた須山計一や清水登之といった人々が1940年代に同種の作品を手がけていることから推測されます。
一方で終戦後のリアリズム絵画には登場する作家がガラリと変わっていますし、戦争画との断絶が見て取れます。また1920年代の構成主義的な画面構成が復活している部分が見受けられ、どちらかと言えば1920年代に弾圧によって一度消滅したプロレタリアアートが再び活性化したと考えるのが良いのかもしれません。

リアリズム絵画と漫画が大衆に理解されやすいという共通点を持つがゆえに、タブローと出版物の両面からイデオロギーの喧伝のために利用され続けていたというのは、本展覧会で初めて認識した事実でした。理想のためにある面では表現を誇張し、ある面では表現を簡略化するという美術的操作について、リアリズム絵画は現実を描いているという先入観ゆえに、漫画では人物や風景は単純化をされているがために覆い隠しやすいのかもしれません。この手法は資本主義においては広告・宣伝という方面で利用されているものでしょう。

そしてこれは展覧会の範囲外となることですが、なぜ1950年代までで本展の展示が終わっているのか。それはリアリズム手法が本拠とするメディアが変化したことにあるのではないかおと思いました。
1950年代になると、ルポルタージュは「現実を切り取る」ことができる写真に取って代わられることになったのではないでしょうか。とくに土門拳の仕事はリアリズム手法によるイデオロギー宣伝の方法を絵画から写真へと移行させるのに大きな役割を果たしたと思われます。

美術と日本の近代史

今回ここまで感想を書いてきた2つの展覧会は、いずれも「近代社会の中の美術」というものを大きく強調した展覧会です。
美術館の中で展開される歴史というのは、往々にして美術のみに対象を絞って作成された歴史です。例えば東京国立博物館の平常展や東京国立近代美術館の旧平常展を見ていると、まるで「美術史」というものが存在するかのように感じられます。それは社会の大きな枠組の中で美術が独自の地位を気づいており、芸術家たちは囲われた楽園の中で日を追求しているかのように語られることもしばしばありました。

しかし、特に近代においては美術も消費されるものの一つとして存在していると思います。作品のターゲットの地位や美術への理解の程度などによって、主題や表現の手法さえも左右されてしまうことがこの2つの展覧会から明らかになったように思われます。それは社会の思想の影響を受けながらも根源的な目標としては「美の追求」があるとしている従来の美術史とは異なる見方なのではないでしょうか。例えば新古典主義から後期印象派キュビズム・フォービズム・抽象表現主義まで連なる、美術理論の展開から必然的に生まれてくるような歴史のあり方とは大きく異なります。
それは社会史としての美術史です。誰が何のために美術を必要としていたのか、そこに美術を届けるためにどのようなことが行われていたのか。そうした歴史的な状況を正しく理解することによって、プロレタリアアートの一端としての漫画などのファインアートの系譜から漏れるものや、日本と植民地の表現方法の共通性の裏に隠された美術環境の違いといった、美術技法を超えた部分に対しても正当な評価を与えることができ、はては現在の日本においてクール・ジャパンの名目で様々に展開されている視覚表現の多様な作品を正当に評価できるようになるのではないでしょうか。

今後ともこのような社会と美術が密接に結びついていることを示す展覧会が多く開催されることを楽しみにしています。

「東京・ソウル・台北長春-官展にみる-それぞれの近代美術」は府中市美術館での展覧会は終了しましたが、兵庫県立美術館で7月21日まで開催中。
「われわれは〈リアル〉である 1920s -1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」は武蔵野市立吉祥寺美術館で6月29日まで開催中です。