台湾らしさってなに 台湾に関係する4つの展覧会から

2014年は台湾から多くの美術品が来ているようです。

5月「東京・ソウル・台北長春-官展にみる-それぞれの近代美術」@府中市美術館
(美術と日本の近代史 -官展とリアリズム美術の展覧会から- - 私を月に連れて行け)
6月「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」展@東京国立博物館
(台北国立故宮博物院展 翠玉白菜”だけ”見てきた - 私を月に連れて行け)
8月「いま、台湾 -台灣美術院の作家たち-」展@渋谷区立松濤美術館
9月「台灣の近代美術-留学生たちの青春群像(1895-1945)」@東京藝術大学大学美術館

そしてこれから「リーミンウェイとその関係」展が森美術館で開催されます。

これだけ多くの台湾関係の展覧会が開催されていましたので、まとめて感想を書こうかなと思います。

「台湾らしさ」とはどこにあるのか。

東京藝術大学の展覧会で書かれていたキャプションには「台湾らしさ」という言葉が説明なしに書かれていました。この「〇〇らしさ」というのは本来慎重に見なければいけない言葉ではないかと考えています。〇〇に当てはまる語が民族や国家といったナショナリスティックな単語になる場合は特にです。
台湾の人々が描けばそこに「台湾らしさ」が存在するのか。それとも台湾の風景を描けば、「台湾らしさ」が自然と出てくるのか。そういったことを考えずにキャプションに盛り込むのは少し言葉が軽いのではないかなとも思います。

台湾という地域は近現代において大きな揺れ動きがあった地域の一つです。
20世紀前半は日清戦争の結果日本の植民地となり、20世紀後半以降は中華民国の支配を受けています。今回の4つの展覧会を通してみるとこの翻弄された台湾というものが見えてくるように感じられます。

まず日本の植民地としての台湾の美術を紹介した展覧会が、府中市美術館と東京藝術大学大学美術館の展覧会です。
この2つの展覧会では日本の植民地となって以降の台湾への油絵・西洋美術の移入について焦点を当てています。官展や美術教育といった日本が用意した制度の中で台湾の美術家たちがどのような絵画を描いたのか、ということが明らかにされています。
これらの展覧会で展示された作品は官展や東京藝術大学の出身者の作品とあって、時代の中でも保守的な作品が多いのではないかと思いますが、そうした中でも「台湾らしさ」が出ている/出していると両展覧会では紹介しています。
ここでの「台湾らしさ」とは、見たままで考えると「アジア的風景」と「南国的風景」という要素のことを言っているのかと思います。それは、ある意味「日本の西洋画」から生まれた台湾の西洋画が自らを描くときに自然と現れてくる「差分」のようなものではないでしょうか。たとえば印象派の画家が南仏にパリには存在しない陽光を見出すような。
「日本にはない要素」を台湾らしさと表現することは、ある種の日本中心主義に陥っているように感じられます。そもそも、台湾の西洋画は日本・日本人を通して伝えられたものが中心であり、そこに台湾に過去から存在していた「台湾らしさ」が現れてくることがあるのかどうか、慎重に検討しなければいけないのではないでしょうか。

第二次世界大戦後、台湾は中華民国に支配されるようになります。その後歩んできた道の大成が松濤美術館の展覧会です。
台湾美術院という日本の院展のような団体が、日本での故宮博物院の展覧会にあわせて美術院を構成する画家の作品を本邦で公開するという趣旨の展覧会です。
この展覧会の作品は、大別すると「水墨画」と「現代絵画」の2つに分類されます。
そしてその両者から感じるのは「漢民族の文明」の匂いです。現代絵画に表象される意匠や色彩を見ればいわゆる「中華文明」の影響があることが見て取れますし、水墨画については中華の水墨画の系統をしっかりと受け継ぎ、現代において再解釈を行っているような作品が多く見受けられました。
思えば台湾美術院に参加している大家は、国民党とともに大陸から台湾へと逃れてきた人も含まれています。さらに国民党は北京の故宮より多くの美術品を台北へ運び出し、台湾の地においても自分たちが中華文明の後継者であることを示そうとしています。
そういった中で求められる「台湾らしさ」は「中華文明の現代化」に他ならないのかもしれません。

こうしてみると150年ほどは台湾の「台湾らしさ」というものは台湾と外部の政治的関わりあいの中で規定されたものにも思われるのです。はたして「台湾らしさ」の本質はどこにあるのか。今後、台湾美術に関する考察が深まって明らかにされるといいのですが……