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「戦争画」の生みの親達。 『絵筆のナショナリズム フジタと大観の戦争』

五島美術館で6月21日まで開催されいた「近代の日本画展」。その中で個人的に目を引いたのは横山大観の「竹外一枝」と言う作品でした。作成されたのは昭和21年、大観が戦争画の指導者という立場についてGHQからは不問とされながら、一方で世間では美術家の責任が喧しく議論されている時期でした。
一見涼やかな水墨画でありながらそこに描かれる竹と梅の関係は、騒がしい世間に対して一人静かに過ごす大観自身を描いているかのようでもありました。


flymetothemoon.hatenadiary.com

上記の記事を書く中で見つけた『絵筆のナショナリズム フジタと大観の戦争』を読みました。

絵筆のナショナリズム―フジタと大観の“戦争”

絵筆のナショナリズム―フジタと大観の“戦争”

「彩管報国」は国家へのおもねりであったのか。


本書は明治以後の近現代日本の芸術とナショナリズムの関係をたどっていくという内容です。
その中でも横山大観藤田嗣治、二人の巨匠の画歴と言葉をたどることで、彼らが戦前・戦中・戦後において「日本」と芸術に対してどのような心情を抱いていたのかを明らかにしています。日本画と西洋画、国内と欧州と一見交わることのない経歴を持つ二人がどのような心性をもって「彩管報国」運動に収斂していったのか、ということがメインテーマの一つとなっています。


出身水戸藩国学の伝統と東京美術学校からの師岡倉天心の薫陶を併せ持ち「気韻生動」を標榜し、「日本の美」を描くことを目指した横山大観
彼は1930年の日本ローマ展での使節団長、1937年の第一回文化勲章受賞と国家による権威をその身に受けてきた人でした。本書では画家としてのピークを過ぎた大観が、国家が必要としている「日本の力強い美」と言う物語を利用し、「富士」と「海」といった画題に過剰に吹き込むことによって、衰えつつある絵の迫力を誇示しているのだと指摘します。


パリでの活動の中で面相筆による細密な線描と独特な白という「欧州における日本の美」を武器としてのしあがった藤田嗣治
ベル・エポックが終わり日本に戻ってきた彼は欧州での成功の一方で、母国ではその成功に比する地位を得ることができていませんでした。本書では松田改組によって日本画壇に地位を得た藤田が、軍国の画壇のリーダーと言う立場に酔いしれるかのように行動するさまを描き出しています。


本書で描かれる二人は、その画才にくらべて社会的責任に対する浅慮さがあったために彩管報国運動のリーダーの立場に立ったかのように描かれています。日本が戦争に巻き込まれていく状況を自らの美学をしらしめる環境とみて、その流れに自ら歩みを合わせていく画家の姿が見て取れるのです。


その一方で、彼らの戦後の行動を見ていると彩管報国運動で描かれた作品に描かれた美への信念は本物であったのかもしれないとも感じます。
大観は大日本美術報国会の会長として戦争画作成の指導的立場にあったことをGHQから許された後、再び「日本の美」の独自性を強調し、戦後の代表作「或る日の太平洋」を始めとする富士山と海の作品を描き始めます。
藤田は「戦争画を集めた展覧会を開きたい。」というGHQ関係者の依頼を受けて終戦後すぐから、散逸してしまった戦争画の収集活動を開始しています。その後の紆余曲折を受けて、最終的にフランスへ追放されることになる藤田嗣治の日本での最後の活動です。


奇しくも松本竣介が新聞へ投書した「戦争画家は転向せずに、引き続き戦争画をかけばいい」と言う指摘を、この二人は実践しようとしていたかのようです。
そういった意味では、大観と藤田という二人の画家は戦争を通じて自分の評価を引き上げようという意図はあったのかもしれませんが、画家として本人が許せない作品を時流におもねって描いていたというわけではなさそうです。


本書でもう一つ興味深かったのが、忌避された芸術についての語りです。
本書では谷崎潤一郎の『細雪』が連載の中断を余儀なくされたことを例として、同じ日本的な美でありながら、儚さ・優美さを前面に押し出した「軟弱」な芸術が忌避されたということを述べています。
確かに今年弥生美術館で開催されていた「橘小夢展」においても、版画集が発禁処分を受けた理由は画家が描く耽美な世界が問題視されたからではないかと語られていました。(ただし、橘小夢が発禁処分を受けたのは1932年なので、『細雪』連載中断の10年以上前となります。)


また、横山大観が自らの美学「気韻生動」を語るのと同時に、望ましくない絵画のことを「病んだ絵」と表現していることも興味を引く点でありました。
望ましくない芸術について「不健康・病気」を見出すことは、上にあげたナチス・ドイツの芸術政策の書籍でも触れられていたことです。しかし、横山大観が「病んだ絵」と表現した絵画は西洋的な写実にもとづいた絵画のことであり、リアリズムを至高としたナチス・ドイツの芸術政策からは真っ向から反するものでした。
確かにその理想を突き詰めると「美しいものをより美しく、力強いものはより猛々しく」といった理想に収斂されるのですが、その出発点が「創作性あふれる近代芸術の否定」と「現実を写しとる近代芸術の否定」という相反するところから出発する語りは芸術と善悪を結びつけることの不条理さを物語っているようです。


本書で描かれていない視点として、軍部・政府の「聖戦美術展」「大東亜戦争美術展」に対する思惑など画壇の外の動きがあります。「時局に相応しい」芸術と「時局に相応しくない」芸術がどのように決定されたのか、その内情も是非知りたいと思いますがなにかよい本があればいいな。