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宮内悠介 『盤上の夜』 人と神との境界線。

宮内悠介 『盤上の夜』を読了しました。2012年の日本SF大賞受賞作です。

盤上の夜 (創元SF文庫)

盤上の夜 (創元SF文庫)

以下に感想を書きます。ネタバレは無いと思いますが、念のため。

本書は「囲碁」「チェッカー」「麻雀」「チャトランガ」「将棋」といったボードゲームを巡るSF短篇集です。
これらの主題となっているゲームはいずれも相手の手筋を読みながら、最善手を探すという作業を行います。盤・台を挟んで人間と向かい合いながら、広大に続く理論の世界に意識をはせる。この一人の人間の中に潜む広大な狭間を題材にしたドラマです。

中世において博打は賽を通して神意を表すものと考えられていました。『東北院職人歌合』において、博奕は巫女と対として描かれ両者が本質的に同じ存在だと見られていたとされています。
その後時代が下ると博奕は扱う遊戯を変化させ、碁打ちや将棋指しへと移行していきます。
本作においてもしばしばトランス状態に陥り、夢幻を彷徨うプレイヤーが登場します。四肢を失い碁盤を感覚器とした碁打ち。都市のシャーマン。統合失調症を患った将棋指し。彼らは自らの超感覚を頼りに人間の理性を凌駕します。そして現世と常世の境界をさまよいながら、人ならざる者への階段を登ろうとするのです。

一方でボードゲームはしばしば知能のスポーツと呼ばれます。ルールの中で理論的に最善手を探すことが勝利への近道です。だからこそコンピュータが人間を相手にゲームを行うことができるし、理論的にもっとも素晴らしい手順を考えることもできます。
知能と知能の高い次元でのぶつかり合いは、日常生活では見ることのできない思考の輝きを見せドラマを生み出すのです。だからこそ電王戦においてコンピュータが勝利したことをまるで特別なことのように感じるのです。
果たして知能とは何なのか。それは人間だけが持つものなのか、コンピュータも持つことができるものなのか。そして知能は人を幸せにするのか。ゲームを描いた本作を通して、「知能」「思考」の本質の複雑さを感じることになります。

本書に掲載された短編の殆どは、ある一人の観戦ライターの取材のオムニバスとして描かれています。彼の取材によってプレイヤーが展開する複雑な心理の全貌が少しずつ明らかになるに従って、私はゲームの本質、思考の本質、そして人間の本質に少しずつ近づいていくような心持ちがします。その事件を削りだしていくような筆致に引き込まれて、息をするのも忘れてしまいそうになりながら読み進めて行きました。この取材を通して人間と非人間の境界が明らかになってしまうのではないか。そして取材対象のプレイヤーはその彼岸を超えてしまったのではないのか。そんな気さえしてくるのです。
一方で本書に描かれた人間ドラマの部分では、天才たちのデフォルメされたキャラクターの過激さから出発する物語にハラハラしながらページを進めました。プレイヤーたちが抱く不器用な愛は、プレイヤーを取り巻く環境として大きな役割を果たします。しかし、彼らがその愛情に対して答えてくれるのかはわかりません。その一方的なコミュニケーションは

本書には様々な超人的で天才的なプレイヤーが登場します。しかし、囲碁のプレイヤーが最終章にて「井山裕太本因坊」をモデルとした棋士に敗れる場面で本書は幕を閉じました。それは人間に対する無限の期待を象徴した場面のようでした。『コンピュータにも神にも負けない人間の意地を見せてやれ。』そんな宮内悠介先生の感情が垣間見えるエンディングでは会ったように思われます。
電王戦で棋士に対するコンピュータの優勢が決定的となり、ゲームと人間の関係性を見直す時期に日本も突入した現在において、読む価値のある作品ではないでしょうか。