バルテュス展@東京都美術館

今回は東京都美術館で開催中のバルテュス展について。

バルテュスについては、本人の作品を見るより先に原久路さんによる「バルテュス絵画の考察」でその存在を知りました。
その時は実物の写真のみを見ただけでその質感までは認識できず、面白い構図で描く画家だなあという感想でした。そもそも20世紀の画家だということも知らなかったぐらいです。
そんなほぼNo知識な状態で望んだ今回の展覧会。こんなに面白い画家がいた事を知らなかったのはもったいなかったというのが第一の感想です。

展覧会は日本での没後初の回顧展だけあって「バルテュスの芸術」と「バルテュスの人柄」との基本的なことがよく理解できる展覧会となっています。
今回バルテュス作品を見て魅力的だと感じたのは、その現実的な主題と非現実的な質感との間に生まれる神秘性と艶かしさです。
彼の作品において度々モチーフとして登場する少女たち。実在の少女をモデルに描かれた具象絵画だというのに、少女という枠組みを超えた超越的な女性美を醸し出しているように感じるのです。
直線的でありながら捻りや反りが持ち込まれた手足、美化をせずどこか肉感的な雰囲気を残している胴体、そして無防備に開かれた股間の描写。

なんとエロティック。なんとスキャンダラス。

展覧会の解説では「性の目覚め」という言葉が使われていましたが、そんなに生易しいものではないのではないか。
会田誠の展覧会に中止を求めたお歴々はこの展覧会にこそより強く中止を求めるべきではないでしょうか。
バルテュスの描く少女たちをヘンリー・ダーガーのヴィヴィアン・ガールズとポール・デルヴォーの描く女性たちと同じ無意識の女性への偏愛の発露、そんな存在なのかもしれません。

その一方で彼の作品を単なるポルノから一線を画しているモノはなにか。それこそ夢の世界を描いているかのような不安定な世界観ではないでしょうか。なぜ少女がこのような状況に置かれるに至ったのか、なぜこのような非現実的なポーズをとっているのか、必然的な理由がないことで生のエロスからは一歩距離を開けているような気がします。
また、その構成的で硬質な人体の描かれ方というのも少女を人形のように感じさせる要因となり、生々しい官能性を廃し、芸術として了解可能なものとして成立させているように感じました。

もちろん今回の展覧会では少女像以外にも、風景画や猫をモチーフにしたファンタジーあふれる作品なども展示されています。

そして「バルテュスの人柄」について、日本とのつながりの深さを強調した展示内容になっています。20世紀初頭のパリで日本美術に触れながら育った少年時代。その時代に彼が作成した日本人形が展示されていました。またバルテュスの配偶者は日本人女性ということで、彼女をモデルにした作品なども数点ありました。結婚前の恋人をモデルにした裸婦像もありましたが、浮世絵の影響を感じさせるような構成の作品です。

ほかにも勝新太郎里見浩太朗との交流の品や吉川英治の英訳作品の蔵書など、バルテュスが日本に持っていたイメージがなんとなく伝わってくるものが多く展示されていました。

全体としては、大回顧展としては展示作品が多いとは思いませんし代表作を網羅しているわけでもありませんが、その構成にバルテュス夫人の節子氏が関わっていることもあってバルテュス作品のエッセンスがわかると思いますし、またなによりバルテュス自身がどのような人であったのかということはよくわかると思います。節子氏以外のバルテュス氏の女性遍歴があまり明確にはなっていなかったなというのは少し残念なところではありますが。